和歌山県に行って??いや還って??きました!

こんばんは!!!!

先日、11月8日から11日まで僕の故郷である和歌山に行ってきました!!
和歌山、すっごく暖かかったです。
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今回の目的は、僕が行おうとしている計画の打ち合わせを南部高校『みなべこうこう』の先生と行うことと、
和歌山県と東北の被災した地域とも比べてみたり、今の和歌山の意識の現状を見ること。
もうひとつに、こっちに来て外から見る目をもって和歌山を見ておきたいというものでした。

和歌山県は北部に住友金属などの大きな工業地帯があり、中部には梅、みかんの栽培が盛んな農業地帯、さらに南に行けば
三陸に似たリアス式海岸が広がる漁業の盛んな地域や、白浜と呼ばれる真っ白な砂が有名な海水浴場などがあります。
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僕自身和歌山の沿岸沿いをすべて見たことはなかったので、実家の車を拝借しまして串本町と呼ばれる和歌山県の最南端でありながら、なんと本州の最南端でもある『潮岬』まで行ってきました。

リアス式海岸にそって作られたカーブだらけの道をくねくねと約2時間半。
運転していた僕が気持ち悪くなりながら走りました。

どこか気仙沼で見たことのあるような景色もひろがっていて、でも和歌山らしい南国の雰囲気を漂わせる道を走りながら思ったのは、
いままで地元がこんなにきれいな場所だとは気付かなかったということ。

きっとこの先消えてしまうかもしれないと思うと少し切なくなりました。

だからこそ被害を減らしたいし、そのためには『教訓』を風化させずに受け継ぐ必要があると、改めて強く思いました。

和歌山にも津波の注意をよびかける看板はいたるところにあったのですが、一部はとても目にはつかないようなところに立っていたりもして、意識をすればもっと改善できる部分も多く見受けられました。

しかし、過去に和歌山県で大津波から多くの人の命を救った人がいました。
濱口梧陵という、現在の広川町というところに住んでいた人で、
過去におおつなみが来た時に、稲むらという、稲のわらに火をつけ、暗闇の中津波に逃げ遅れた人に避難経路を示しその後自らの財産を切り崩し、避難民に食料を与え、防潮堤を作るという仕事を作り、給料を与え、復興事業に尽力したひとがいました。
そのその人の行動が評価され、今日まで『稲むらの火』という物語で受け継がれています。
実は教科書にも載っている人で有名な人なのですが、残念ながらあまり認知度は高くありません。
この様な事を広めていくのも大切だとおもいました。

現在和歌山県に浮上式防潮堤という、最新技術を使った防潮堤が建設されています。
これは地震が来たときに感知して、自動的に鉄の柱が海中から浮き上がってくるというものですが、これがどういった効果を発揮するのか、地元の人はわかっていない部分も多くあります。
ぱっと見るとわからないですが、行政の考えと過去の言い伝えと、今和歌山に住む人たちには大きな溝があるように感じられました。

いろいろなことを感じ考えられたこの旅??
今後動くうえで大きなきっかけになるように感じました。

以上宮本がお伝えしました。

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